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ほいくえVoice

【vol. 30前編】自分の力を発揮したい場所

更新日:2022.4.11|7(2週間) / 181(累計)

くららべるさん
50代 保育士歴29年目
私立認可保育園 主任
 
―くららべるさんは保育士歴29年、3人のお母さんなのですね。まず、保育士になろうと思ったきっかけから教えてください!
 
私は理系科目が好きな高校生だったのです。卒業後の進路を考えるとき、数学や化学、生物は好きだけど大学で深めるのはしっくりこないな〜と、迷っていたんですね。そうしたら友人が「あなたのところによく子どもが寄ってくるよね」と、ヒントとなる言葉をくれました。たしかに知らない子どもが寄ってきたり、笑いかけてきたりすることがよくあって、児童学を学んでみようと。保育士、幼稚園教諭、社会福祉主事の資格が取れる学科でしたが保育士として働こうとまでは考えておらず、女子大生を楽しく謳歌して、OLにでもなるのかなと思っていました。
 
―それが大学卒業後は公立保育園に入職されていますよね。決め手になるご経験があったのでしょうか?
 
大学3年生のときに行った実習です。学校に指定された実習先が自宅からうんと遠いところにある、知的障がい児のための施設でした。実家を2週間離れて過ごすことも初めてだったので緊張で体調を崩しそうだったこと、「なんでこんな遠いところに飛ばされちゃったんだろう」と納得がいかなかったことを覚えています。
しぶしぶ訪れた施設でしたが、初めて見る世界にびっくりしながらハマった自分がいました。こんな風に世界を見ている子がいる!という発見や、ゆったりと流れる純粋な時間に浸って「こういう人たちと一緒にいたい」「こういう場所で自分の力を発揮したい」「保育士として働こう」と思ったんです。実習後も療育施設のボランティアやキャンプに参加して、またそれがすごく楽しくて、障がい児を支える仕事への興味は深まっていきました。
 
―就職活動はどのようにされたのですか?
 
当時は大学が公立保育園への就職を強く勧めていました。初任給が高くなる大卒保育士は採ってもらえないから、公務員になるしかないの!と言われて、ああそうなのかと。なので私も周りの同級生も、みんな公務員試験を受験していました。公立保育園では障がいのある子どもの担任をすることもあり、また療育に特化した施設で勤務したこともありました。
 
―印象に残っているエピソードはありますか?
 
療育施設に勤めていたときに支援していた、重度の自閉症をもつAくんとお母さんのことは特に忘れられないです。お母さんは障がいを持つわが子に向き合うことが難しい状態で、生計を立てるために夜遅くまで仕事をしていました。周囲に溶け込むこともできず、大変な想いで育児をしていたと思います。
療育施設は保護者を迎えての支援も行うのですが、お母さんとはいろいろなお話をしてきました。寝不足で起きているのも辛そうなときには「お母さん、別の部屋で仮眠とってきていいよ」「今日はここだけ押さえて、あとは一人で休んでて」などと話して、休めるようにしてあげたりすることも、時にはありました。
 
―Aくんにとってもお母さまにとっても、くららべるさんの思いやりは有り難かったと思います。
 
卒園式のときに、お母さん達から順番に一言話すパートが用意されていました。Aくんのお母さんはそれ以前からも人前で話すことを躊躇していましたが、皆が集まるその場面で「先生(くららべるさん)、私をお母さんにしてくれてありがとう」と言ってくれたんですね。私はもう、突然のことで大号泣してしまって。
 
―(編者もしばし、もらい泣きしてしまいました)Aさん、とても立派なお母さんになられたんですね。くららべるさんのような、頼もしい保育者の存在によってお母さんにしてもらえる保護者は、世の中にたくさんいると思います。
 
保育って答えがない、考え方によってはそこが辛い面もある仕事だと思います。若い保育者を見ていると、そう感じさせられることが多々あります。いま大変な状況で頑張っている保育者もたくさんいると思います。でもAくん母子のように、自分が努力してきたことがちゃんと伝わったと思えることもある。努力は報われるというか、伝わるということを、悩んでいる保育者には伝えたい、私にとっても心の支えになっているエピソードです。
 
くららべるさん、貴重なお話をありがとうございました!後編ではまもなく保育士歴30年を迎える、くららべるさんの目指すキャリアについてお伺いします。
 
【くららべるさん×保育のひとコマ】
休日は、保護猫シェルターで猫たちのお世話をしています。仕事以外の人たちとの関わりは、とても勉強になりますし、癒しの時間です。(くららべるさん)
 
(2022.2 聞き手・編集:鏡味)
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