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いろいろ

親育(比較の考え方②)

更新日:2023.11.6|1(2週間) / 111(累計)

親育(比較の考え方②)
昨日続き…。

子どもたちは自分を確認するためにも 「比較」を多用しているのです。
では、なぜ子育てをする母親に対して「子ども達を比較しないで」 と言うのか?

それは、私たちの仕事は 「正当に子どもの評価をする」ことではなく、 「子どもたちが自分に自信を持ち、自分の能力を高め、自分の人生を有意義に過ごしてもらえるように育てる」ことだからです。

その為には、もし子どもたちが自分と周りと比べて、落ち込んでいたり、落胆してやる気を失っていた時があっても、できるだけ早く、そこから脱出させてあげなければなりません。
子どもの落胆に同調したり、「かわいそう」と同情するのではなく、 「そんなことはないよ! あなたにはこんなに良いところがあるじゃない!」と言ってあげられたら、 子どもが感じていた 「自分の低い評価」をガラッと変
えてあげることができるのです。

もしあなたが仕事上で他のできる人と比べて「私は容姿もよくないし、要領も悪いので、仕事でも成績が伸びないし、 上司に怒られてばかりなんだ」 と落胆して誰かに話した時、
「何言ってるの。 あなたには○○ができる、誰にも真似できないこんな良さがあるじゃない。 苦手が分かっているのなら、 それを乗り越えれば 『鬼に金棒』だよ!」 と言われたらどんな気持ちでしょうか?

一方「そうだね。 あなたの言うとおりだよ。容姿も悪いし、要領も悪い。 その上愛嬌もない。最悪だよね」 と言われたとしたら、どうでしょう?
前者と後者、言われた時の気持ちには、 大きな違いがあると思います。
前者のように言われたら 「そうか。じゃあ、もうちょっと頑張ってみようかな?」 と思うかもしれませんが、
後者のように言われたら 「あぁ、もうやる気がなくなる。この仕事向いていないんだな。 もう会社やめようかな?」と思ってしまいませんか?

少なくとも前者の方が気持ちが高まると思うのです。 それを自分が落胆している時に言われたら、 心への響き方は相当違います。
ちなみに後者は「比較でしかその人の価値が分からない人の言葉」 で、 前者は「その人の良さを見つけられる目を持った人の言葉」なんですね。

特に親は、子どもが小さいころから一緒にいて、常に子どもを見ているのですから、 決して「比較でしか価値が分からない人」ではなく、その子の良さをちゃんと見極められる「人」 であるはずなのです。

子どもの一番近くにいて、 その子の良さを誰より知っている方だからこそ 「比較」ではなく、「その子の特筆すべき良さ」 を知っておいてほしい。
子どもの気持ちが凹んでいる時には、できるだけ早くそこから脱出させてあげてほしいし、それができる人であってほしい。
その為には「比較して評価する癖」 があるとしたら、 それはやめて 「良いところをよく見てきちんと把握しておく」ようにしてほしいのです。

「比較」 の違いのお話。
長編になりましたが、ありがとうございました。

明日もお待ちしております。

ラバント保育園
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