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敬語は何のためにあるか

更新日:2019.6.21|1(2週間) / 187(累計)

敬語は何のためにあるか
敬語そのものの解説に入る前に、敬語の「目的」について考えておきたい。
相手を敬う為に敬語を使う、もしくは品のある人に見られる為に敬語を使うと思っている人がいたとしたら、両方とも間違いである。

なぜ敬語を使うのか、その答えは「日本語とはそういうものだから」ということに尽きる。

例えば、ウサギをなぜウサギと呼ぶのか、その目的などあるわけがない。
昔からウサギをウサギと呼んでいたというだけのことである。

それと同じで、目下は目上の人に敬語を使うというのが、日本語の決まりといだけのことである。
そこには感情は関係ない。

敬語は「敬語」とう名称ゆえに勘違いされるが、尊敬するから使うものでもなければ、尊敬しないから使わないものでもない。
単純に下位者が上位者にそのような言葉を使うことが決まっているだけのことである。
ということは、話題が上位者に触れるなら、尊敬できるか否かに関わらず、敬語を使用しなければならないのである。
それが社会の掟であるから、そのような言葉遣いができない人は、常識が疑われ、品のない人と見られてしまうことになる。
従って、敬語は感情に関わりなく機械的に使うことを心掛けると良い。
意外に思われるかも知れないが、これが敬語を使う最大の要点である。

そこで、敬語は相手を敬う言葉ではないかと疑問に思う人もいるだろう。
もちろん、そのような正しい日本語を使うことで、結果として目上の人を敬うことになり、または品格のある人と思われることがある。

しかし、それらはいずれも敬語を用いたことで生じる「効果」であって「目的」ではない。

上位者を敬いたいから敬語を使うわけでもなく、また自分が上品に見られたいから敬語を使うわけでもないのである。
では感情を排除すべきかと言えば、そうではない。

正しい敬語が使えるようになったら、そこに感情を乗せていけば良いのだ。いくら正しい敬語でも感情が抜けていたら先ほど挙げた「慇懃無礼」になってしまう。
逆に、正しい敬語に相手を尊重する気持ちを乗せれば、尊敬の気持ちが相手に伝わりやすくなるであろう。

言葉とは人と人との意思疎通の道具である。
言葉の使い方によっては、相手を不快な気持ちにすることもできるし、幸せな気持ちにすることもできる。
そして、意思疎通の極意は、他者を尊重することになる。

相手を尊重しながら話を聴けば、その人は気分良く丁寧に話すことだろう。
相手を尊重しながら自分の伝えたいことを言葉にしたら、その人は自分と違う意見にも耳を傾けるだろう。

日本語では上位者に対する言葉遣いと、下位者に対する言葉遣いは異なるが、下位者に対する言葉遣いは異なるが、下位者が上位者を尊重することが当然として、上位者であっても下位者を尊重して接することで、初めて意思疎通が図れるのある。

ただし、それは「話し方の作法」「聴き方の作法」であるから、「言葉の作法」とは区別して考えなくてはならない。

「日本の礼儀作法」〜宮家のおしえ〜より
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