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家庭教育の役割はどこにあるのか

更新日:2020.3.13|6(2週間) / 137(累計)

家庭教育の役割はどこにあるのか
人間のなかで一ばんいいタイプを作り出すために必要なものは幼年期における幸福である

バードランド・ラッセル



子どもの幸福とは、お金があってほしいものが買ってもらえるということではありません。同じく、自由とは不自由さもあります。

大切なのは家庭に不和がなく、とりわけ父母が仲良く、みんなの気持ちが安定しているということや幼い時には、理屈抜きで抱きしめて可愛がってくれる親をもつことは最大の幸福です。

子どもは子どもなりに人間として尊重されていること、正しい言い分は認めてもらうこと。こんな事も幸せの一つかもしれません。

子どもが健康であるか、夫婦は仲良く暮らしているか、家庭内の人間関係は良好かどうかがかしこまった言葉で「家庭教育」と呼ぶようになりました。



家庭教育の役割はどこにあるのか。

小学校からの学校教育とは主として組織立った知識を与えたり、考える力を伸ばしたり、又集団でなければ得られない訓練をしようとしていますが、はじめにふれた受け入れる姿勢や人間の基本的な態度などは、家庭でこそ育めることです。

善悪の感受性、人に対する愛情や信頼度、独立心、ひねくれない心、他人に迷惑をかけない心がけ、努力する態度などまでいずれも家庭で小さい時から心ある父母に育てられてこそ豊かに出来上がっていきます。

単なる小手先の方法ではなく、親と子の人間関係の真実さの中からですね。

そして、その結果が家庭の中では目に見えるようにあらわれていなくても、親から離れた時に地金の質のようなものとしてあらわれてきます。



例えば、人間に対する信頼感や善悪の感受性を豊かに養われた子どもは、先生のお話を素直に受け取り2倍にも3倍にも生かして自分のものにしていき、家庭でだらしない習慣がつくられ人を信ずることの出来ない子どもは、学校の力ではほとんど直して行くことが出来ないのが不思議です。



戦後から今日まで、日本の多くの家庭ではこのような大切なことがなおざりにされてきてしまいました。

進学、将来の就職の問題に刺激されて、家庭教育といえば、学校の成績をどうすればよくすることができるかということだけの極めて卑近な功利主義的なものになり、経済的なゆとりがあればお稽古事のつめこみが始まる。

成績が悪ければ家庭教師を頼もうとする。親自身が反省したり考えたりしない、誰かによくきく薬を作ってもらい子どもに飲ませて急場をしのごうとする。

成績はわずかに上がるかもしれないが、もっと大切な独立心は損なわれることの損失に気づかない。このように教育熱心の誤解が始まり出しました。



家庭の教育とは、人間形成の点からみて学校教育よりもはるかに強力で極めて切実なるものです。

家庭は家族団欒のいこいの場であり、親子団欒の楽しい場であるが、他方において個人と社会の質を決定する使命を担っている厳しい一面もあります。そこをどう調和させていくかが、親に課せられた古くて新しい課題でしょう。



新型コロナウイルス感染症の影響もあり、家族が顔を合わせる時間が増えたのではないでしょうか。家族団欒を楽しみましょう。
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